悲しみは海に
てづくりマーケットが終わり
会場を片付けて、帰宅したのが17時30分頃。
晩ごはんの支度をしていると
今病院。変わりなし。と兄からのメールが届き
安堵しながら わかった。ありがとう。と返信。
晩ごはんを子どもたちと食べて
ブログを更新してお風呂に入り
リリーをハウスに入れた後
工房に降りたのが22時00分過ぎ。
工房を片付けながら
大事な相棒と毎晩恒例の他愛のないやりとりをして
あらためて母にありがとうを言いながら
眠りについたのは23時過ぎでした。
兄からの連絡で飛び起きたのは
明け方、5時前。
心臓が止まりかけてます…。
てづくりマーケット開催の4日前にも
同じように明け方に連絡を受けました。
帰省する電車の中で
確実に別れはすぐそこまできてるのだと覚悟して
病院に向かいました。
母はもう手を握り返してはくれませんでした。
ただ眠っていました。
病院に泊まり
母の寝息を聞きながら
不思議なくらい安堵感に包まれた私は
子供の頃に返り、その夜爆睡。
今日か明日…と言われたにも関わらず
悪いなりに心拍数が変わらず落ち着いているので
大部屋に戻りましょう。
母と過ごす三晩目の夜に主治医に言われ
翌日一度高山に戻る決意をしました。
それから7日後。
母は眠りながら静かに息を引き取りました。
最後の時に側に居たのは
長い期間母を看てくれていた兄と義姉でした。
呼吸がかなりゆっくりになってきました。
実家に連絡がはいったのは
義姉が母が大事にしていた鉢植えに
水をあげていた時だと聞きました。
兄は港に居たそうです。

夏の思い出の風景。
晴れていれば遠くに赤い灯台がある無人島が見えるのです。
毎年母方の祖父の舟で海水浴に行きました。
父と母、兄と姉と私。
夕方迎えに来てくれるまで家族で過ごしました。
永い眠りについた母の顔はとても穏やかで
嫁いでから苦労が絶えなかった娘をいつも気にかけ
影になり日向になり見守った祖父の面影そのままでした。
最後まで耳は聞こえているから話しかけてあげてね。
どの看護師さんからも言われたのもあり
私も姉もたくさん話しかけました。
話しかけがふと途切れたときに
姉は月末三日間は仕事を休めないこと、
私は月末締めの事、イベントが2日まであること
そして7月6日以降は義父が家に居るため
今より身動きが取りにくいという話を病室でしました。
母がそれを理解してあの日に決めた
なんていうつもりはないけれど
結局わたしたちは最後まで母に見守られたのだと思える
そんな旅立ちでした。
葬儀を終え
写真撮る!と妹(私)が駄々をこね
兄と姉、3人で写真を撮りました。
めいっこ達に画像を送り
はら(笑) 腹(笑)と兄の太鼓腹を笑いのタネにしたけれど
体に気をつけて
兄弟仲良く何かあれば助け合っていきたいと思いながら
帰路につきました。
京都から母の葬儀に来てくれた長女は
わたしたちと一緒に高山へ。
1年ぶりに会ったリリー
とてもとても喜びました。

私にはそんな顔は見せないのに(笑)
明日帰る予定が大雨で京都行きのバスが午前中二本運休。
無事に京都に帰れるまで安心出来ないから
無事に帰れるように守ってね。って言ったら
母はきっと笑いながら
任せとき。
心配せんでも大丈夫やわいね。
って言う声が
聞こえる気がするのです。
会場を片付けて、帰宅したのが17時30分頃。
晩ごはんの支度をしていると
今病院。変わりなし。と兄からのメールが届き
安堵しながら わかった。ありがとう。と返信。
晩ごはんを子どもたちと食べて
ブログを更新してお風呂に入り
リリーをハウスに入れた後
工房に降りたのが22時00分過ぎ。
工房を片付けながら
大事な相棒と毎晩恒例の他愛のないやりとりをして
あらためて母にありがとうを言いながら
眠りについたのは23時過ぎでした。
兄からの連絡で飛び起きたのは
明け方、5時前。
心臓が止まりかけてます…。
てづくりマーケット開催の4日前にも
同じように明け方に連絡を受けました。
帰省する電車の中で
確実に別れはすぐそこまできてるのだと覚悟して
病院に向かいました。
母はもう手を握り返してはくれませんでした。
ただ眠っていました。
病院に泊まり
母の寝息を聞きながら
不思議なくらい安堵感に包まれた私は
子供の頃に返り、その夜爆睡。
今日か明日…と言われたにも関わらず
悪いなりに心拍数が変わらず落ち着いているので
大部屋に戻りましょう。
母と過ごす三晩目の夜に主治医に言われ
翌日一度高山に戻る決意をしました。
それから7日後。
母は眠りながら静かに息を引き取りました。
最後の時に側に居たのは
長い期間母を看てくれていた兄と義姉でした。
呼吸がかなりゆっくりになってきました。
実家に連絡がはいったのは
義姉が母が大事にしていた鉢植えに
水をあげていた時だと聞きました。
兄は港に居たそうです。

夏の思い出の風景。
晴れていれば遠くに赤い灯台がある無人島が見えるのです。
毎年母方の祖父の舟で海水浴に行きました。
父と母、兄と姉と私。
夕方迎えに来てくれるまで家族で過ごしました。
永い眠りについた母の顔はとても穏やかで
嫁いでから苦労が絶えなかった娘をいつも気にかけ
影になり日向になり見守った祖父の面影そのままでした。
最後まで耳は聞こえているから話しかけてあげてね。
どの看護師さんからも言われたのもあり
私も姉もたくさん話しかけました。
話しかけがふと途切れたときに
姉は月末三日間は仕事を休めないこと、
私は月末締めの事、イベントが2日まであること
そして7月6日以降は義父が家に居るため
今より身動きが取りにくいという話を病室でしました。
母がそれを理解してあの日に決めた
なんていうつもりはないけれど
結局わたしたちは最後まで母に見守られたのだと思える
そんな旅立ちでした。
葬儀を終え
写真撮る!と妹(私)が駄々をこね
兄と姉、3人で写真を撮りました。
めいっこ達に画像を送り
はら(笑) 腹(笑)と兄の太鼓腹を笑いのタネにしたけれど
体に気をつけて
兄弟仲良く何かあれば助け合っていきたいと思いながら
帰路につきました。
京都から母の葬儀に来てくれた長女は
わたしたちと一緒に高山へ。
1年ぶりに会ったリリー
とてもとても喜びました。

私にはそんな顔は見せないのに(笑)
明日帰る予定が大雨で京都行きのバスが午前中二本運休。
無事に京都に帰れるまで安心出来ないから
無事に帰れるように守ってね。って言ったら
母はきっと笑いながら
任せとき。
心配せんでも大丈夫やわいね。
って言う声が
聞こえる気がするのです。
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